いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。Ⅰテサロニケ5章16〜18節

スクリーンショット 2023-09-02 12.18.38

津軽塗のすばらしさに気づかせてくれる
映画「バカ塗りの娘」

 8月に弘前市土手町にある「津軽塗たなか」で津軽塗の箸を購入したとき、レジのところで弘前市を舞台にした映画「バカ塗りの娘」の映画チラシを目にしました。伝統工芸「津軽塗」は漆塗りを「何十回もバカ丁寧に塗りを繰り返す技法」であるところから「バカ塗り」とも言われています。津軽塗りは以前から興味があったことと、弘前市が舞台ということでぜひ観てみたいと思っておりましたが、9月1日に遂に全国でも封切りになりました。

 冒頭から津軽塗りの色づくりのシーンがあり、まるでドキュメンタリー映画のように、津軽塗の製作シーンが丁寧に数多く出て来るので、思わず見入ってしまいます。さらに、主人公の堀田真由さんや父親役の小林 薫さん、おばあさん役の木野 花さんの演技も自然で役にはまっているので、弘前市に実在している人のように見えて来ます。

 父親の清司郎の漆工房には、実際の津軽塗職人、松山継道さんが長年作業されていた漆工房をそのままま借りて撮影しているので、セットとは違う実際の職人の現場の息遣いを感じさせてくれる作品になっています。映画プロデューサーの説明では、「漆塗りの道具や漆を完成させる漆風呂はもちろん、床や壁、天井に至るまで、漆と時間の染み込んだ様子は、まるでひとつの作品のような、圧倒的な存在感がありました」と語っていますが、画面を見ていてもその津軽塗りの制作現場がリアルで飽きない理由は、そこにもあったのかと思います。

 伝統的な津軽塗りも需要の減少で津軽塗職人が激減していると言われていますが、最後のシーンは、津軽塗の魅力が世界に広がっていくかも知れないと予感させるものでした。観終わったあとは、津軽塗りの箸だけではなく、もっと手間をかけている高価な津軽塗りの作品が欲しいと思ったのは私だけでしょうか。時代が移り変わっても、ぜひとも残しておきたい伝統技術のすばらしさに気づかせてくれ映画です。

「バカ塗りの娘」予告
今日の聖書 マタイの福音書9章16~17節

  だれも、真新しい布切れで古い衣に継ぎを当てたりはしません。そんな継ぎ切れは衣を引き裂き、破れがもっとひどくなるからです。また、人は新しいぶどう酒を古い皮袋に入れたりはしません。そんなことをすれば皮袋は裂け、ぶどう酒が流れ出て、皮袋もだめになります。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れます。そうすれば両方とも保てます。」


DSC_1757

「青森ねぶた祭2023」開催ニュースで思うこと

 コロナ禍で中止や制約のあった「青森ねぶた祭」が四年ぶりに以前のねぶた祭に戻り、大きなニュースになりましたが、その青森ねぶた祭で運行関係者がねぶたの台車の
曳手に暴力をふるったという動画が拡散され、さらに大きなニュースとなりました。

 ニュースでは、「うちわを持つ手を振り回し、ねぷたを引く曳く人たちを次々に殴り始めたのです」とあり、実際に殴ったかどうかは遠目なの不明なのですが、うちわではなく素手で殴った手がまともに当たっていればノックアウトパンチのような勢いで腕を振り回していたので、この動画を見た青森ねぶた祭を愛する人々に大きなショックを与えています。私自身も青森ねぶた祭観覧で見るはじめての光景で大変驚きました。

 私は別の目的もあって弘前に出かけたのですが、翌日の8月2日が「青森ねぶた祭」初日であるということで最新カメラを持参し、四年ぶりにねぶた祭を撮影することができました。問題になった青森青年会議所のねぶたも撮影いたしましたが、迫力のあるすばらしいものでした。制作したねぶた師の方もこの出来事に大きなショックを受けたことでしょう。

 当初のニュースではねぶたが特定されないようにぼかしが入れられて報道されていたのでとてもお気の毒でした。暴力をふるった運行スタッフのおかげで、ねぶたグループ全体が全否定されるだけではなく、青森ねぶた祭そのものが問題あるかのような印象が広がることが懸念しておられる方が大勢おられます。青年会議所のねぶたはお囃子を含め、全体としてはまとめまりのある魅力的なグループだったので、かなりの枚数を撮影したのでとても残念に思っています。
DSC_1759

IMG_8119
 ねぶたは、ねぶた師の描いた下絵に基づいて、ねぶた小屋で数ヶ月かけて制作されます。製作中は非公開で関係者以外は見ることができません。出来上がったねぶたを台車に載せ、完成したねぶたを台車のまわりで押したり引いたりするのが「曳手」の役割です。ただ台車を押したり引いたりするのではなく、上下に動かしたり回ったりして生き物のように動かすのも「曳手」の役割です。そして曳手」をオーケストラの指揮者のように指揮するのが「扇子持ち」の役割です。扇子持ちと曳手の息が合ったときに、ねぶたは生き物のように町を練り歩くのです。曳手が扇子ではなく実際の手で暴力を振るうのは昔はあったのかも知れませんが、今では完全にアウトで、多くの観覧者に感動ではなく恐怖と不快感を与えてしまいます。

 8月2日のねぷた祭りでも、ねぷたの大小に関係はなく、目の前で一生懸命動かしてくれたねぷたには観客から拍手が沸き起こるのです。最初の写真にあるように、観客の多くの視線はねぶたそのものに向いていますので、曳手」はあまり見えないのです。しかし、見えない陰の部分での真剣な働きがあってこそねぶたそのものが生き物のように動くのですから、これからも「扇子持ち」と曳手」が良いコンビネーションですばらし青森ねぶた祭を見せてくれるよう心から願っています。
DSC_1747
ねぶたの太鼓の音は心地のよいものです
DSC_1750
お囃子

今日の聖書 コロサイ人への手紙3章12~14節

 ですから、あなたがたは神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者として、深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を着なさい。互いに忍耐し合い、だれかがほかの人に不満を抱いたとしても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全です。



_DSC3344

「四つ葉のクローバー」と「三つ葉のクローバー」


 幸運や幸福のシンボルの「四つ葉のクローバー」を「三つ葉のクローバー」の中から探すという行為は、誰でも一度はやってみた行為ではないでしょうか。しかし、そうそう簡単に四つ葉のクローバーを見つけることはできません。

 実は私自身も子どもの頃から道端にあるクローバーを見て、四つ葉のクローバー探しをしていましたが、一度も見つけることができませんでした。2013年に弘前市に住むようなって、弘前公園に毎朝ウォーキングに出かけるようになって、公園内のたくさんのクローバーを見て、再び挑戦したのですが、一度も見つけることができませんでした。

 ところがある日、公園内で販売されていた「カランカランアイス」を買ったとき、売り子のおばさんから、四つ葉のクローバーをプレゼントされたのです。貴重なものなのでもらうのをためらっていたら、自分は簡単に公園内で見つけることができるので、もらってくださいということで、ありがたく「四つ葉のクローバー」をもらいました。


 それ以来、公園内には四つ葉のクローバーは必ずあると信じて探してみると、次々に四つ葉のクローバーを探し出すことができたのです。よくSNSなどで、違った漢字が一つありますというクイズを見かけますが、試しても全部同じ漢字のように見えます。しかし、それは錯覚で一字一字確かめると、実は違った漢字が必ず一つあることに気づきます。それと同じことがクローバーでも言えるようで、かなりの確率で四つ葉のクローバーがまぎれていることが多いようです。一度見つけると、次々に見つけることができます。冒頭の写真の中にも四つ葉のクローバーが隠れていますので、ぜひチャレンジしてみてください。

c95c4621-s

 「四つ葉のクローバー」が幸運や幸福のシンボルとして覚えられるようになったのは、アイルランドにキリスト教を伝えたパトリックに由来していると言われています。パトリックはアイルランドの国花となっているクローバーを用いて、コリント人への第一の手紙1313節にある「いつまでも残るものは信仰と希望と愛、これら三つです。そのうちいちばんすぐれているのは愛です」という真理を教えました。そして四つ葉はその中心が十字架になっていることから、十字架につけられたキリストを覚えるものとして教えたようです。

 十字架は本来、重罪を犯した者への処刑方法でしたが、罪のないイエス・キリストが十字架につけられ、殺されることによって、人間の罪があがなわれ、救いの道が開かれたことから「神の愛」の象徴として覚えられるようになりました。ですから、三つ葉は「信仰、希望、愛」四つ葉は「十字架の神の愛」と教えられると、私は不思議に納得します。

 ちなみ私はその後、弘前公園でたくさんの四つ葉のクローバーを発見し、観光客にプレゼントしたときには大いに喜ばれました。



_DSC3574


今日の聖書』 コリント人への手紙 13章 13節

こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。
その中で一番すぐれているのは愛です。

IMG_7038
 英連邦戦死者墓地」
Yokohama War Cemetery

 横浜永谷キリスト教会に赴任して間も無くの頃、教会から車で10分ほどの距離にエリザベス女王やダイアナ元妃も墓参したという「英連邦戦死者墓地Yokohama War Cemetery」があることを教えていただきました。すぐそばにバラ園もあり、近隣の方々がよく訪れている写真撮影スポットでもあるということなので、一度訪れてみたいと思っておりましたが、昨日ついにここを訪れることができました。

IMG_7027


 場所は、箱根マラソンで有名な国道一号「団子坂」に近く、バス停「児童遊園地入口」から歩いて10分ほどの距離にあります。1946年に保土ヶ谷児童遊園地・保土ヶ谷錬成場が接収され作られたということもあり、現在も横浜市の児童遊園地やバラ園のあるこども植物園が隣接しています。

 「英連邦墓地」とあるのは、この墓地が設置された1955年当時のイギリス連邦諸国(イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ共和国、インド、パキスタン)の戦死者1,500基以上の墓碑が建立されているからです。英連邦では、「戦死者の遺体は本国に送還せず、階級差なく現地で埋葬する」という原則があり、この方針のもとに「英連邦戦死者墓地委員会」が設置され、世界中にある英連邦戦死者の墓地を管理しています。保土ヶ谷にある「英連邦戦死者墓地」もその一つであるということになります。

IMG_7034


 ただ、「戦死者」となってはいても、ここに葬られている方々は戦いの中でなくなったというより、日本軍の捕虜となった兵士や女性たちが労働力として日本に連行され、鉱山や造船所、農業や軍需製品の様々な産業で働かされた人々がほとんどです。その収容所の劣悪な環境の中で捕虜という身分のままで何千人もの人々が亡くなったのです。入口を入ってすぐの場所にある英語と日本語で書かれている「
英連邦戦死者墓地」の説明文にはこのことも記されており、これを読んだ時には心が痛みました。

IMG_7044
 この墓地にはヨハネの福音書11章の主イエスの「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです」というみことばが記され、「あなたの御手に彼の霊をゆだねます」という家族の祈りのことばが添えられていました。

IMG_7008
隣接する植物園に咲いていたバラが美しかった




今日の聖書』 イザヤ書 2章2〜4節

終わりの日に、主の家の山は山々の頂に堅く立ち、
もろもろの丘より高くそびえ立つ。

そこにすべての国々が流れて来る。多くの民族が来て言う。

「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。
主はご自分の道を私たちに教えてくださる。

私たちはその道筋を進もう。」

それは、シオンからみおしえが、エルサレムから主のことばが出るからだ。

主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。

彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。

国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。

IMG_6403

平戸永谷川の河津桜

 横浜永谷キリスト教会の会堂の横を流れているのは「平戸永谷川」です。この川沿いの道路は、「平戸永谷川プロムナード」と名付けられ、多くの方々の散歩コースになっています。特に愛犬をともなって散歩をしている方々が大勢おられ、同じ時間に散歩をされているせいか、顔見知りになって愛犬ともどもに会話をしている様子をしばしば見かけます。

 ところが、桜が開花し始めた頃は、単独で散歩する方々を多く見かけ、スマホを片手にしてプロムナード沿いの河津桜を撮影している方が多くおられました。特に満開になった3月5日前後は、お天気が良かったせいか、大勢の方々がスマホで満開の桜を撮影していました。

 河津桜はソメイヨシノに比べると色が濃いので、満開になるとプロムナードが華やかに彩られているという印象を受けます。まるで美しいモデルのように、カメラマンにその華やかな表情を見せつけています。

IMG_6451
 平戸永谷川の「河津桜」背景は横浜永谷キリスト教会
IMG_6483 2
平戸永谷川の「河津桜」
IMG_6506
平戸永谷川の「河津桜」

『今日の聖書』 雅歌 2章11~13節

  ご覧、冬は去り、雨も過ぎて行ったから。

  地には花が咲き乱れ、刈り入れの季節がやって来て、

  山鳩の声が、私たちの国中に聞こえる。

  いちじくの木は実をならせ、ぶどうの木は花をつけて香りを放つ。

  わが愛する者、私の美しいひとよ。さあ立って、出ておいで。

DSC_2035
山下公園
 

山下公園は関東大震災の瓦礫の上に

 
 「横浜山下公園」といえば、都会のオアシスのような存在です。晴れた日に公園のベンチに座り海を眺めていると都会の喧噪を忘れさせてくれるので多くの人がそこに集うのです。ところが、この山下公園が関東大震災の瓦礫を埋め立てて出来た公園であるということは案外知られていません。


 1923年9月1日に相模湾沖を震源として発生したマグニチュード7.9の関東大震災は、神奈川県や東京を中心に甚大な被害をもたらしました。

 当初、波止場の一角が大震災の瓦礫の集積場となっていました。その後、関東大震災の復興事業として瓦礫などを使って海を埋め立て、臨海公園にしようということで1925年から工事が始まり、1935年3月15日から開園されたのが山下公園です。1934年には山下公園内で「復興記念横浜大博覧会」が開催されています。

 関東大震災は、190万人が被災し10万人以上の死者・行方不明者を出した悲しい記憶です。しかし、その瓦礫によって作られた山下公園が現在、都会のオアシスとなっていることは、イザヤ書の言葉を思い起こさせます。

  「荒野と砂漠は楽しみ、荒地は喜び、サフランのように花を咲かせる

 現在ここを訪れるほとんどの人は、それを知らず、
関東大震災の体験も持っていません。現在の山下公園を訪れる利用の仕方を考えると、あえてそのことを知らせる必要がないのかも知れません。

 DSC_0123

 山下公園の良さは、上の写真にあるように、海が見るように並べられてベンチが多いことです。休日はほとんどのベンチが埋まってことが多いのですが、長く滞在するわけではないので、少し待つとここに座ることができます。それと頻繁に花壇が手入れされているので、美しく咲いている花をいつも見ることができるのです。

DSC_2051

 以前に比べると、湾内の海もかなりきれいになりました。ところどころにゴミが漂っているろこともありますが、水質もそれほど濁ったようには見えません。意外と横浜湾の水はきれいなのです。

 田舎から出て来て都会で生活するようになり、時間が経つにつれ、都会の生活に息苦しさを覚えるのは、故郷にあった山や海を見ることができなくなったからだと言われます。ですから、私の場合も海が見える場所に住んでいたので、山下公園に来てベンチに座り、海を見ているだけでいやされる思いがします。

DSC_2030


横浜山下公園に係留されている氷川丸

今日の聖書」 イザヤ書 35章1~3節

 荒野と砂漠は楽しみ、荒地は喜び、サフランのように花を咲かせる。盛んに花を咲かせ、喜び喜んで歌う。レバノンの栄光と、カルメルやシャロンの威光をこれに賜るので、彼らは主の栄光、私たちの神の威光を見る。弱った手を強め、よろめくひざをしっかりさせよ。

あじさいの庭完成予想図

目指せ!「紫陽花いっぱいの庭」

 紫陽花が植えられた横浜永谷キリスト教会の写真ですが、この写真は紫陽花がいっぱいの庭を目指している横浜永谷キリスト教会の花壇「完成予想写真」です。もちろんPhotoshopによる加工写真です。

 横浜永谷キリスト教会は毎年6月になると、地域の方々を教会にお招きする「紫陽花オープンチャーチ」を行なっていました。開拓期に奉仕したドイツ人宣教師の発案で、日本のじめじめした梅雨の季節に楽しいイベントを教会で行いたいということで始まったイベントです。

 私が横浜永谷キリスト教会の牧師として招かれる際に、横浜永谷キリスト教会の方々は教会名を「あじさい教会」にしたいぐらい紫陽花が好きな人が多い聞かされました。そこで、「紫陽花」の花言葉を調べてみると、土壌によって色が変わることから「移り気」、ピンクの紫陽花は「元気な女性」、青色の紫陽花は「辛抱強い愛」などとありまし。しかし、教会としていちばんぴったりだったのは、小さな花びらが集まっている様子から「家族の団らん」という花言葉です。

 聖書には教会は「神の家族」(エペソ2章19節)にたとえられています。ユダヤ人も異邦人もなく、教会は「神の家族」であるというのは、すばらいことです。しかも国籍は天国です。
「家族の団らん」は、教会の兄弟姉妹が神の家族として愛し合うこと様子を言い表している花言葉です。

 そういうわけで、地域の方々に神の家族に加わっていただきたいという願いを込めて、教会の庭を紫陽花でいっぱいにしようということになり、今年の4月、ばらばらに植えられていた紫陽花を道路側に一列に植え替え、新しい紫陽花の苗も加えした。

 5月末に早咲きの紫陽花が咲き始めましたが、少し年月がかかるようで、どうも完成予想写真のようには現在なっていません。しかし、美しく咲き始めた紫陽花を見て、兄弟姉妹は喜び、さらなる開花を待ち望んでいます。

IMG_2762
2022年5月26日現在の教会の庭 美しく咲いている
IMG_2767
これから開花するのが期待されている紫陽花
IMG_2769
大きくなるまでは時間がかかりそうな紫陽花
DSC_1166
4月に植え替えた時の庭

「今日の聖書」 エペソ2章14~19節

 実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、この二つをご自分において新しい一人の人に造り上げて平和を実現し、二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。

 また、キリストは来て、遠くにいたあなたがたに平和を、また近くにいた人々にも平和を、福音として伝えられました。このキリストを通して、私たち二つのものが、一つの御霊によって御父に近づくことができるのです。

 こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。

DSC_1331

横浜公園はチューリップでいっぱい

 横浜スタジアムの敷地内にある横浜公園(横浜市中区)は、12万本のチューリップの花が今咲き誇っています。このブログにあるチューリップは4月5日撮影したものですが、4月8日からは、「第44回よこはま花と緑のスプリングフェア2022」が開催されるとのこと。一足先に写真をアップしました。

DSC_1319

DSC_1381 (1)

DSC_1348

DSC_1311

『今日の聖書』 雅歌 2章11~13節

  ご覧、冬は去り、雨も過ぎて行ったから。

  地には花が咲き乱れ、刈り入れの季節がやって来て、

  山鳩の声が、私たちの国中に聞こえる。

  いちじくの木は実をならせ、ぶどうの木は花をつけて香りを放つ。

  わが愛する者、私の美しいひとよ。さあ立って、出ておいで。

DSC_6138

弘前公園のマンサクの花が咲いたニュース

 3月12日、弘前公園北の廓にあるマンサクの花が開花したというニュースが東奥日報の電子版に掲載されていました。昨年の開花日は、3月7日でしたから、今年は5日遅く咲いたことになります。近年、温暖化の影響で開花日が早まる傾向があったので、マンサクの開花日が平均開花日に近づいたということになります。

 弘前公園のマンサクの開花日がニュースになるのは、このマンサクのそばに、ソメイヨシノの標準木があるからです。毎年、マンサクが咲いた約40日後に標準木のソメイヨシノが開花することが弘前市民には知られています。これで行くと、今年の年の開花予想日は4月19日になります。弘前公園発表の2022年開花予想日は4月18日ですから、ほぼマンサクの開花日から約40日後になるわけです

DSC_6141

 このブログにアップされているマンサクは、弘前公園北の廓に植えられているそのマンサクの木で、私が撮影したものです。弘前に住んでいたとき、毎朝のように弘前公園までウォーキングしていた私は、この時期はいつもマンサクの開花が気になっていました。この写真は、報道があった日の夜に弘前公園北の廓に入って撮影したと記憶しています。

 私がマンサクの開花日とソメイヨシノの開花予想が関連づけて報道されることに注目しているもう一つの理由があります。新約聖書を読んだ方であるならば、気づいていることなのですが、イエス・キリストの公生涯を記している福音書の記事は、バプテスマのヨハネの活動から始まっていることです。

 旧約聖書イザヤ書の預言を引用し、荒野に現れたバプテスマのヨハネが「私よりも力のある方が私の後に来られます」と、キリストの到来を宣べ伝えはじめるのです。引用されたイザヤ書の預言は以下のようになっています。

 「見よ。わたしは、わたしの使いをあなたの目に遣わす。

  彼はあなたの道を整える。

  荒野で叫ぶ者の声がする。

 『主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ』

  (マルコの福音書1章2~3節)

 教会暦では、今はキリストの受難を覚えるレント(受難節)です。レントは「灰の水曜日」から日曜日を除く、キリストの復活を記念するイースターまでの40日間の季節をいいます。この期間、世界中のクリスチャンは、私たちの救いのために苦しみを受けられたイエス・キリストの苦難と神の愛を覚えるときとして過ごします。

 マンサクの開花とソメイヨシノの開花が毎年関連づけられているように、私はバプテスマのヨハネの出現とイエス・キリストの公生涯が結びつけられていることと毎年のように思い起こしてこの季節を過ごしています。(岩松康宣)

DSC_6134



『今日の聖書』 ヨハネの福音書 1章14~16節

 こ
とばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。


 ヨハネはこの方について証しして、こう叫んだ。「『私の後に来られる方は、私にまさる方です。私より先におられたからです』と私が言ったのは、この方のことです。」


 私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けた。

DSC_1041 (1)


教会の庭の梅が咲きました

 横浜永谷キリスト教会の庭にある梅の木は、ここに会堂が建つ前から植わっていたものです。昨年七月、私が牧師として赴任してきた時にはすでに梅の季節が終わっていたため、梅の花を見ることはできませんでした。しかし、今朝教会に来た時には梅の花が枝という枝に綺麗に咲き誇っていました。

 これまでは教会の庭にある梅の木は、老木で枯れ木のような存在でしたので、これほど見事に梅の花が咲き誇ることは想像できませんでした。そこで早速カメラを持ち出し撮影したのが、今回アップした写真です。


DSC_1040



 ふと、弘前に住んでいたときに見た弘前公園の桜の木を思い出しました。一般的に、ソメイヨシノは樹齢が60年ほどであると見なされていますが、弘前公園の桜は樹齢百年を超えるものも三百本以上も植えられています。ほとんどが老木なのですが、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」でも取り上げられたことがある弘前公園の樹木医であった小林勝さんは、「老木こそ美しい」というコンセプトのもとに桜を手入れをし、毎年見事な桜の花を咲かせていました。

 私は、「老木なのに美しい」ではなく、「老木こそ美しい」という小林勝さんの言葉が大好きです。
枯れ木にも見える古木が、毎年春になると美しい花を咲かせると、若い木の枝に咲く花とは違う、別の美しさを感じさせるからです。横浜永谷キリスト教会の庭に植えられている老木の梅の木も、これからも美しい花びらを咲かせ続けてほしいと願っています。

DSC_1042
横浜永谷キリスト教会の庭に咲いた梅の花

「今日の聖書」雅歌 2章11〜12節


ご覧、冬は去り、 雨も過ぎて行ったから。

地には花が咲き乱れ、 刈り入れの季節がやって来て、 山鳩の声が、私たちの国中に聞こえる。


↑このページのトップヘ